小学校と中学校はほとんど同じメンバーで、中には幼稚園から同じ友達もいます。
中学校を卒業して同じ高校へ進学した友達は一人でした。
中学卒業して地元の友達と交流することはほとんどありませんでした。
高校は在学中には仲良くさせてもらっていた友達も何人かできましたが、卒業と同時にお互いに連絡を取り合うことがなくなりました。僕が高校を卒業したときはまだ携帯などありませんでしたから。
大学の4年間で知り合った友達は、今でも呑みに言ったりしています。卒業して10数年。
しかし、仲間?って呼べるのか?
『仲間』とは?
Wikiとかで引っ掛けると以下のような説明が表示されます。
【ある物事を一緒になってする者。または同じ種類に属するもの。】
大学時代は同じ学び舎で同じ研究室で、一緒になって勉学に励む。これって仲間だと思います。
では、大学を卒業して社会人になって、人生の大海原に旅立った今は?
大学時代の友人、友達、親友。仲間ではないと思います。
一緒の会社に就職したならば仲間かもしれませんが。
この人たちは同じ種類に属さないのか?
僕の解釈では、これは『考え方』が似ているかどうかという意味に捉えています。
よって、属しません。
僕がフツーに生きていける人間であるならば、『考え方』もフツーで同じレベル、つまり属しているということで仲間と言えるかもしれません。すみません。上から目線で。
でも、僕はフツーには物事を考えていないようです。
なので、仲間にはなれないのです。
では、仲間はどこにいるのか?
僕に仲間がいるとしたら、今は血の繋がっていな遠い親戚になった「W氏」でしょうか。
僕にとって最初の仲間は「W氏」です。
彼は、一緒にある物事をやり遂げるための仲間です。
彼が先行していますが、僕も追いつけ追い越せで頑張っています。
それは人生における二人にとってなくてはならないものです。
僕と彼には考え方に差はありません。
ただ、それは僕が彼の背中を追っかけて自分のものにしていったものです。
そしてこの考え方をもとに仲間を増やしていこうとしています。
僕は僕にとってはフツーではない波乱に跳んだ人生を送り始めていますし、そのゴールは途轍もなく遠いです。
けど、その遠い道のりを一人で歩くのと仲間と一緒に歩くのではまったく違います。
仲間と歩くからこそ遠くのものも近くに感じる瞬間があるのだと思います。
これも考え方だと思います。
僕は僕の仲間と一緒にぼくらのゴールに向かって突き進んでいます。
そしてそれが更に波乱に跳んだ人生を引き寄せてきています。
ぶっとんだ仲間も引き寄せて行くことでしょう。
みなさんは、仲間と呼べる人がいますか?
友人でも友達でも、親友でもありません。
仲間です。