1970年生まれ、今年47歳になる。
アラフィフなアンチエイジングオタ。
5歳のとき、風邪をこじらせて小児喘息を発症。
小学校5年生まで5歳用の半ズボンが履けるほどガリガリで、あだ名はガイコツ。
あと、ヘリコプター。
ヘリコプターの由来は、鼻炎も持っていたため年中鼻がもぞもぞしてて、夜寝てるときに無意識で鼻を鳴らしていたらしく。その音がヘリコプターのプロペラが回る音に似てたので、ヘリコプター。
この由来読んで分かる人は連絡下さい(笑)
中学卒業するまでは喘息がひどく、かかったときは凄く母さんに迷惑を掛けてました。
苦しいため横になって寝ることができなかったので、夜中中ずっと母さんに抱っこしてもらっていた記憶があります。
立ってではなくもちろん、座った状態で僕の体がなるべく縦になるように支えてくれている感じです。
もちろん、抱っこされていたのは小学生の間だけです。
それでも母さんはずっとその状態でいるため大変だったと思います。
中学に入って、1年生の夏からバスケットボール部に入部しました。
体力向上のため。
2年生の先輩は7人位。同級生が僕を含め6人。計13人程度の部員でした。
僕が入部したのは、3年生は中体連が終わって引退したあとでした。
練習はすごくきつかったのですが、なんとか途中でやめることなく続けることができました。
今でも僕の好きなスポーツはバスケットボールです。
なので、大学生のときに読んだ「スラムダンク」なんかサイコーの愛読書でした。
高校はサッカーとラグビーが有名な男子校に入学。
中学の成績はあまりよくなく、偏差値が下の上くらいの高校に進学しました。
僕の通った高校からは、サッカーのヨーロッパのリーグで活躍している日本人選手も輩出していたりします。
そこで僕はなんとか成績上位組みに入り、地元の大学の推薦試験の枠をゲットしました。
推薦枠での試験は、数学、英語、国語の3教科のみ。
僕は理学部を受験し、一応合格。
その当時、就職率は500%はありました。
つまり、学生一人当たり5社は内定が貰えるというものでした。
高校生のとき僕は理科の先生になりたいと思っていたため、わざわざ理学部を選んだのですが、先生になるためには教員用の単位も取らないといけないなんてまったく下調べもせず、夢は夢のまま願望で終わりました。
大学2年生のときに出会ったというか1年から出会っていたのですが、2年生からよくつるんでいた何人かは卒業して20数年経った今でも一緒に飲んだりしています。
3年生の後期から入る研究室をどこにするかもその仲間たちといろいろ話しをしました。
そして僕は、U教授のU研に入ることになります。
そこは大気大循環を数値シミュレーションで解析するという一風変わった研究室でした。
少し他とは違うことが好きだというのが、僕の性分だったのかもしれません。
分かる人は分かるPC-98系、MS-DOSがインストールされたDOS/V機、WorkStation、そしてUNIXサーバなどを駆使して、大気大循環をシミュレートしていました。
プログラミング言語はFortran。
今どこで使ってるんでしょう。
まだまだ数値シミュレーションの世界では使っているのでしょうか。
そして僕が大学3年生のとき、それは起こった。
『バブル崩壊』
それまで就職活動に何の不安もなかった僕らにとってはなんじゃそらーって感じ。
内定を一つ取るのがやっとの状態になったのでした。
そんな折、僕は何を思ったのか大学院進学を選択しました。
僕は後先考えないタイプであった。
2年後はもっと大変な状態になっているかもしれないのに、就職ぎりぎりセーフ組に乗らず、大学院進学。
でも、僕は大学院に進学したことを後悔してません。まったく。
だって、きちんと大学の研究室で学んだことが活かせるだろう就職先に内定をもらえたからです。
話は戻って、大学院進学のときの試験勉強がこれまでで一番頑張った期間ではないだろうか。
英語が足を引っ張っていた僕は、もしかしたら英語の試験結果次第で大学院に進学できないかもしれないと言われていた。
けど、無事進学できた。
あのときの頑張りを思うと今の僕はどうだろう?
たまに頑張りがぜんぜん足りてないような気がしてならない。
その位あのときは頑張った!
唯一、これだけは大きな声で言えること。
大学院に進学した後、中央に就職した仲間、地元で就職した仲間、みんなばらばらになったけど、年に3回、GW、お盆、正月には絶対集まって飲み会をやりました。
こういうときは学生が一番暇なもんですから、ほとんど僕がセッティング。
でもその代わりじゃないけど、みんなから飲み代は奢ってもらうことが多くなりました。
あの時はありがとう♬
「受けた恩は石に刻んでる」
まだ恩返しできてなくてごめん。
でも忘れてないよー。
みんなまっててー。
絶対恩返しするよー。
こころではそう思っていますが、なかなか結果が得られません。
でも諦めません。
勝つまでは。
みんなとは今も変わりなく飲みに行っていますが、誰一人あの時奢ってくれたことを口にしません。
すげー奴らだ。
大学院の2年間が充実したものとして終わり、東京に本社のある民間の天気予報の会社に就職した。
今思うといろんな事をいろいろと考えられる脳ができたのは、大学院に進学したおかげではないかと思います。
物理学ってなぜそうなるのかって考える学問ですよね。
学生時代、主に大学院生時代に、なぜ?なぜ?って考えているうちに、何に対してでもまずはなぜ?って疑問を抱く脳ができたのか?
でも、このなぜ?は猜疑心ではなく、健全なるなぜ?
なので社会人になってもいろんなことになぜ?なぜ?
そしてつまるところ、「なぜ僕は儲かってないんだろう?」って考えた答えが今の行動に出ているのではないでしょうか?
今の仕事、お給料に満足している人ばっかりというわけではないと思います。
僕は何者にも満足してませんでした。
なので、去年の3月にサラリーマンから脱出する道を選びました。
フツーの大学、大学院を出たなんも取り柄がないフツーの男がフツーの人生を送ると思っていたのに。
でも、僕は送ると思っていたフツーの人生を自分から放棄して、波乱に跳んだ人生を送ることにしました。
ですが、それはサラリーマンを辞めた昨年3月からそうなった訳ではなく、ある副業に取り組んだ10数年前から徐々にそんな風になっていったんだと思います。
そんな僕が過去のこと、現在のこと、そして考えている未来のこと。
好きなこと、やりたいこと、やってること、読んでる本、観てる映画。
漫画やゲーム、そして飼ってる猫のこと。
何でもかんでも雑に投稿していきたいと思ってます。