世間一般的に男親にとって娘とは目に入れても痛くないほどかわいい存在である。
たぶんそれは息子だとしても同じことだろうが。
僕は娘が小学4年生の時から一緒に暮らしていません。
家を出た後、娘と二人で遊びに行った帰りの車の中で、娘からなぜパパはおうちに帰ってこないのか尋ねられました。
胸が痛く、泣いてしまいそうになるのを我慢して運転したことを今でも覚えています。
娘には仕事の関係だと偽って、6年。
娘が中学3年生の時に正式に離婚しました。
娘とは今でも月に1度一緒にご飯を食べに行くことでつながりを保つようにしています。
小学生の間は、大きな公園に遊びに行ったり、映画を観に行ったりしていましたが、中学生になり、3歳から通っているダンス教室や英会話、さらには習字、生け花など習い事に時間を取られることが多くなり、デートコースはもっぱらお昼ご飯を一緒に食べた後、ダンスが始まるまで古本屋、3DSのソフト探しなどで時間を潰すだけになっていました。
会う回数も月に一度から2ヶ月、ひどいときには3ヶ月に一度になり、会うたびに何かをおねだりされるのが習慣となってしまいました。
そんな中学時代からすでに3年経ち、娘ももう高校3年生です。
だけど、僕はその悪しき習慣に流されたまま、正そうとは思いません。
僕にとってはそれが娘への罪滅ぼしだと思っているのかもしれません。
間違っているのかもしれませんが。
娘の母親は、頭が良かったせいもあり、娘にはすごいスパルタです。
娘が小さい頃は祖母がかわいそうで見てられないとまで言っていました。
高校生にもなれば、はいはい言うことを聞くわけではありませんので、きちんとエアを抜くこともできているになり、今はさほど心配していません。
話しは変わりますが、僕には夢があります。
娘にも夢があります。
娘の夢は『踊って英語がしゃべれる建築家になる』だそうです。
これは小学生の時の夢。
そして中学2年生の時は『宝塚に入る』でした。
そして、今は『建築関係の仕事に就く』で収まったようです。
今年は大学受験です。
娘は身長が165cm、手足が長く、ダンスの先生にはバレエを習ったらどうかと勧められていました。
身長は基準値をぎりぎりクリア。
あとは本人の想いだけでした。
宝塚に入るには、プラス絶対音感的なセンスも必要だとか...
それが足らなかったようで、中学3年生の時には早々と宝塚に入る夢は捨てていたました。
本気でそうしたいなら僕は娘の一ファンとして絶対的な応援をしてやるつもりだったのに。
その道が娘にとって辛く険しいものだとしても。
僕の夢は娘にとっての『足長お父さんになる』こと。
そして、娘と二人でサグラダ・ファミリアを観に行くこと。
もちろん、夢はもっとたくさんありますが、まずはこれ。
まずはこれだけは必ず実現させることを目標にしています。
僕と娘はいまだに泊りがけの旅行に一緒に行ったことがありません。
娘のことひとつ取っても、僕にとってはフツーではない波乱に跳んだ事態になっています。
娘を幸せにすることはフツーは夢とは考えない当たり前のことだとは思います。
ただ、僕と娘の距離感では『足長お父さん』という表現があっている気がしています。
ほんとはそんなに重く考えなくても、旅行くらいそのうち行けるでしょうし、というか行きますが、経済的に圧倒的な『足長お父さん』にはなれるかどうかは分かりません。
今のままでは無理な気もします。
一人になったばかりの頃は毎日想っていました。
娘は今何をしているだろうか?
そして今何を想っているだろうか?
いない僕のことなど毎日考えなくていいから、楽しく過ごしてほしい。
会ったときには、誰にも負けない愛を僕は君にあげるから。
娘のためにはどんなことでも我慢して一緒に居るべきだと考える人もいるでしょうし、僕たちよりもひどい状況の親子もフツーに居るでしょう。
でも、僕にとってはフツーではない波乱に跳んだ人生として今も続いているこの関係は、今の僕のすべての源です。
娘がいたので今の僕がある。
そしてこれからの僕を作っていくんだと思う。