親父、それはとてつもなく僕の人生の指針となった大人物のことなり♬

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父さんの死は、母さんの死後6年目に突然やってきました。

僕の父さんはよくわけが分からない利己的な考え方が抜群に上手な人でした。

今思うと父さんとは何も話しをしていない気がします。
僕の考えていること、僕の夢、僕のあの頃の生活とそのときの心境。
そして父さんのことも聞いた覚えがない。

子供の頃はよく意味不明な怒られ方をしていました。
学校から帰って歳が4つ離れた弟と家で遊んでいたら怒られる。
遊び方が気に入らないのか?
勉強してても、してなくても怒られる。
気に入らないときは、竹製の布団たたきで叩かれたり、鉄製の鍋敷きが飛んできたりしてました。

「雨にもマケズ、風にもマケズ」

鉄製の鍋敷きにはそう掘り込みがしてあり、それだけがずっと頭に残っていました。
宮沢賢治さんの有名な名言の出だしの部分です。
その頃はそんなことちっとも興味がなく、ただ当たったら痛いってことしかなかった。

父さんは後先考えずにお金を使う人だった。
僕が今そうなのは、父さんを見てきたからだろう。
反面教師はあまり効果がない。
脳には良し悪しは判断できない。
脳は父さんの金遣いが荒い、お金に関して後先考えないことだけイメージ化できる。
それが良いとも悪いとも判断しない。
そして僕の体はそれに反応する。
僕も存分にお金の管理があまい。
悪いとこだけよく似てる。

母さんが他界したとき、父さんは仏壇に向かって、
「俺が代わりに死ねばよかった。」
とよく言っていた。
それを聞いた親戚連中はこぞって、
「ほんとその通りよ。あんたが代わりに死んどけばよかったのに。」
「死んでから優しい言葉をかけても遅いとよ。」
って言っていました。
まさにその通り、そう言われても仕方ない父さんだったと僕も思います。

唯一、父さんにだけできた親孝行は孫を見せてあげることができたってこと。
娘を膝の上に抱いて、満面の笑みを浮かべていました。
今でもはっきり覚えている父さんの姿です。

でも父さんは、そんな孫もいるなか、生きたかった母さんのことも考えなかったのか、自ら命を絶ってしまいました。
63歳でした。
60歳で会社を定年退職して、わずか3年。

朝突然おばから電話があって、
「お父さんが自殺したって警察から連絡があった。あなたが警察に身柄の確認に行くのよ。」って。
とっさに何が起こったのか分かりませんでしたが、身支度をして警察に行き、冷たくなった父さんと対面したんです。

警察で父さんの持ち物を確認したとき、財布はなく所有していた車の座席の下から、『1,500円』見つかったと言われました。
落としたような感じではなく、隠していたようだったと言われました。
財布も持たず所持金が1,500円。
そして、免許証入れに写真が一枚。
古い小さな写真。
僕はその写真を見た瞬間は、僕の娘の写真だと思いました。
しかし、それは僕が赤ちゃんのときの写真だったんです。
僕には妹と弟がいます。
なのに写真は僕のだけでした。
こんな写真があることも、それを父さんがずっと持っていたことも、そのとき初めて知りました。

父さんの死因は、飛び降りた衝撃によるショック死。
死ぬ前にどんなことを考えたんだろう。
なぜ、写真は僕のだけなんだろう。

僕にとってはフツーでない波乱に跳んだ人生に関わる衝撃的な出来事の一つとなりました。